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U-505は第二次世界大戦中に建造されたドイツ海軍(Kriegsmarine)のIXC型潜水艦の1隻である。1944年6月4日に米海軍のタスクグループ 22.3(TG 22.3)に鹵獲され、押収された暗号表やその他の機密資料は連合国軍の暗号解読作業の助けとなった。 1名を除いて''U-505''の乗組員全員が米海軍のタスクグループにより救助され、艦は秘密裏にバミューダ諸島へ曳航されていった。米海軍はドイツ側へこの出来事が露見することを防ぐために潜水艦鹵獲の事実を極秘扱いとし、米軍の捕虜として抑留された艦の乗組員は、国際赤十字社による接見も禁じられた。 1954年に''U-505''は、イリノイ州、シカゴのシカゴ科学産業博物館へ寄贈され、現在は博物館船となっている。 ''U-505''は、第二次世界大戦中に連合国軍により鹵獲された6隻のUボートの中の1隻であり、博物館船として現存する4隻の第二次世界大戦時のドイツの大型潜水艦の中の1隻である。現存する唯一のIXC型潜水艦でもある。 == 鹵獲に至るまでの艦歴 == ''U-505''は、1940年6月12日にハンブルクのドイチェ・ヴェルフト社(Deutsche Werft AG)で起工され、1941年5月25日に進水、8月26日にアクセル=オーラフ・レーヴェ(Axel-Olaf Loewe)大尉指揮の下で就役した。1942年9月6日にレーヴェはペーター・ツェッヘ(Peter Zschech)大尉へ指揮を譲り、1943年10月24日からパウル・マイヤー(Paul Meyer)中尉が約2週間指揮を執り、11月8日にハラルト・ランゲ(Harald Lange)中尉が引き継いだ。その後ランゲは1944年6月4日に鹵獲されるまで艦長を務めた〔。 ''U-505''は、12回の哨戒を実施し、合計44,962トンに上る8隻の船舶を撃沈した。この内訳は、3隻が米国船、2隻が英国船、ノルウェー船、オランダ船、コロンビア船が各1隻であった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「U505 (潜水艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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